日本的茶文化日語介紹

  日本的茶文化源於中國,卻具有日本的民族特色。下面是小編精心為你整理的,一起來看看。

  

  お茶の伝來、日本での始まり

  遣唐使が往來していた奈良・平安時代に、最澄***さいちょう***、空海***くうかい***、永忠***えいちゅう***などの留學僧が、唐よりお茶の種子を持ち帰ったのが、わが國のお茶の始まりとされています。平安初期***815年***の『日本後記』には、「嵯峨天皇に大僧都***だいそうず***永忠が近江の梵釈寺において茶を煎じて奉った」と記述されています。これが、わが國における日本茶の喫茶に関する最初の記述といわれています。このころのお茶は非常に貴重で、僧侶や貴族階級などの限られた人々だけが口にすることができました。

  茶葉的傳入與日本飲茶的開端

  日本飲茶的開端可以追溯到奈良、平安時代,當時遣唐使往來頻繁,最澄、永忠等留學僧從唐朝帶回了茶種。據平安初期***815年***的《日本後記》記載,“大僧都永忠在近江梵釋寺為嵯峨天皇斟上了煎茶”。這就是日本有關日本茶飲用的最早記載。當時,茶葉十分貴重,只有僧侶、貴族階級等少部分人才能品嚐。

  鎌倉初期***1191年***に栄西***えいさい***禪師が宋から帰國する際、日本にお茶を持ち帰りました。栄西は、お茶の効用からお茶の製法などについて著した『喫茶養生記***きっさようじょうき***』***1214年***を書き上げました。これは、わが國最初の本格的なお茶関連の書といわれています。栄西は、深酒の癖のある將軍源実朝に本書を獻上したと『吾妻鏡***あずまかがみ***』に記してあります。

  鎌倉初期***1191年***,遊學宋朝的榮西禪師歸國之際攜帶了一些茶種回到了日本。榮西著有《吃茶養生記》***1214年***,書中對飲茶的功效到茶葉製法都作了介紹,是日本第一本真正與茶有關的專著。《吾妻鏡》中記載,將軍源實朝嗜酒如命,榮西就向他獻上了《吃茶養生記》一書。

  お茶の栽培

  もともと日本の山間部の奧地に自生していた「山茶***さんちゃ***」を飲んでいたという説もあるようですが、お茶の栽培は栄西が、中國より持ち帰った種子を佐賀県脊振山***せぶりさん***に植えたのが始まりだといわれています。 その後、京都の明恵上人***みょうえしょうにん***が栄西より種子を譲り受け、京都栂尾***とがのお***に蒔き、宇治茶の基礎をつくるとともに、全國に広めていきました。當時のお茶は、蒸した茶葉を揉まずに乾燥させたもの***碾茶=てんちゃ***で、社交の道具として武士階級にも普及しました。

  茶葉的栽培

  說到茶葉的栽培,有人認為日本人過去一直飲用自然生長於日本山谷深處的“山茶”,不過一般看法還是認為,茶葉栽培發端於榮西在佐賀縣脊振山種植從中國帶回的茶種。後來,京都的明惠上人從榮西那裡得到了茶種,在京都栂尾開始栽培,由此形成了宇治茶的基礎,逐漸盛行全國。當時的茶屬於一種“碾茶”,即將茶葉揉捻後焙乾製成。此後茶成為社交的手段,在武士階級中普及開來。

  南北朝時代の『異制庭訓往來***いせいていきんおうらい***』***虎関師錬=こかんしれん 著***には、當時の名茶産地が記されています。京都各地および大和、伊賀、伊勢、駿河、武蔵では、寺院、寺領の茶園を中心に茶栽培が行われるようになりました。さらに、お茶栽培の北限といわれる茨城の奧久慈のお茶も14世紀に始まったといわれています。

  南北朝時代的《異制庭訓往來》中記載了當時的著名茶葉產地,茶葉栽培主要在京都各地及大和、伊賀、伊勢、駿河、武藏等地區,以寺院、寺領為中心進行。而被稱為茶葉栽培之北界的茨城奧久慈茶也始於14世紀。

  茶道の完成

  栄西の『喫茶養生記』は、わが國の喫茶文化普及に多大な影響を及ぼしました。 鎌倉時代の末期には南宋の「闘茶」が武士階級に浸透、茶寄合いなどが盛んになり、茶歌舞伎などの抹茶法***茶の湯***が急速に広まりました。 そして、15世紀後半から16世紀後半には、村田珠光***むらたしゅこう***、武野紹鴎***たけのじょうおう***、千利休らによって新しいお茶の禮式がつくられ「侘茶***わびちゃ***」として大成、武士階級に流行し、現在の「茶道」として完成されていきます。

  茶道的形成

  榮西的《吃茶養生記》對在日本普及飲茶文化起到了極大的作用。鎌倉時代末期,南宋的“鬥茶”雅興在武士階級中間流行,“茶寄合”等遊戲大受歡迎,茶歌舞伎等抹茶法也迅速擴充套件開來。到了15世紀後半期至16世紀後半期,村田珠光、武野紹鷗、千利休等茶人發展出的新茶道禮儀——“閒寂茶”成熟起來,在武士階級中流行,最終形成了現代所說的“茶道”。

  日本的茶文化的飲茶步驟

  日本人相當注重形式,茶道便是這樣的一種體現。他們喜歡當著客人的面準備食物,像鐵板燒,讓客人不僅能吃到食物,還能學習到烹飪的方法,茶道也是如此。

  日本茶人在舉行茶會時均抱有“一期一會”的心態。這一詞語出自江戶幕府末期的大茶人井伊直弼所著的《茶湯一會集》。書中這樣寫到:“追其本源,茶事之會,為一期一會,即使同主同客可反覆多次舉行茶事,也不能再現此時此刻之事。每次茶事之會,實為我一生一度之會。由此,主人要千方百計,盡深情實意,不能有半點疏忽。客人也須以此世不再相逢之情赴會,熱心領受主人的每一個細小的匠心,以誠相交。此便是:一期一會。”這種“一期一會”的觀念,實質上就是佛教“無常”觀的體現。佛教的無常觀督促人們重視一分一秒,認真對待一時一事。當茶事舉行時,主客均極為珍視,彼此懷著“一生一次”的信念,體味到人生如同茶的泡沫一般在世間轉瞬即逝,並由此產生共鳴。於是與會者感到彼此緊緊相連,產生一種互相依存的感覺和生命的充實感。這是茶會之外的其他場合無法體驗到的一種感覺。

  茶事的種類繁多,古代有“三時茶”之說,即按三頓飯的時間分為朝會***早茶***、書會***午茶***、夜會***晚茶***;現在則有“茶事七事”之說,即:早晨的茶事、拂曉的茶事、正午的茶事、夜晚的茶事、飯後的茶事、專題茶事和臨時茶事。除此之外還有開封茶壇的茶事***相當於佛寺的開光大典***、惜別的茶事、賞雪的茶事、一主一客的茶事、賞花的茶事、賞月的茶事等等。每次的茶事都要有主題,比如某人新婚、喬遷之喜、紀念誕辰、或者為得到了一件珍貴茶具而慶賀等等。

  茶會之前,主人要首先確定主客,即主要的客人,一般為身份較尊貴者,像千利休之於豐臣秀吉。確定了主客之後再確定陪客,這些陪客既要和主客比較熟悉又要和主客有一定的關係。決定客人之後便要開始忙碌的準備茶會了,這期間客人們會來道謝,因為準備工作的繁忙主人只需要在門前接待一下即可。一般茶會的時間為四個小時,太長容易導致客人疲憊,太短又可能無法領會到茶會的真諦。茶會有淡茶會***簡單茶會***和正式茶會兩種,正式茶會還分為“初座”和“後座”兩部分。

  為了辦好茶會,主人要東奔西跑的選購好茶、好水、茶花、做茶點心及茶食的材料等。茶會之前還要把茶室、茶庭打掃的乾乾淨淨,客人提前到達之後,在茶庭的草棚中坐下來觀賞茶庭並體會主人的用心,然後入茶室就座,這叫“初座”。主人便開始表演添炭技法,因為整個茶會中要添。